利用する前に
必ず
注意事項を全部読んでからご利用ください。
管理人に御用の方は
管理掲示板にてメッセージを受けつけています。
■掲示板に戻る■
全部
1-
最新50
社会思想史
- 1 :agent◆bGmJzgr3/6 : 2008/04/15(火) 20:54:31 ID:9Um07ZBU
- 社会思想史
[1] 管理人◆EqmLl82s - 2005/07/10 06:39 No.30
30.txt - (3 KB)
我孫子
2003年度 後期
・法経学部法学科
----
受講に際しての注意
(1)夏季課題レポートを提出していない人は、この期末テストを受験しても評価が出ません。
(2)講義中の配布プリント及び自筆ノート、持ち込み可。
次の三つの問題から一題を選択し、論述しなさい(答案用紙には選択した番号のみを記す事)。
1、J.-J.ルソー、A.スミス、G.W.F.ヘーゲル、K.マルクス、M.ヴェーバー、内田義彦、丸山真男のうち、いずれか二者の社会思想を対比させ(例えば「マルクスとヴェーバー」など)、
その思想史的対比の内容を述べたうえで、そうした問題設定が一般に社会認識あるいは資本主義の認識においてどのような意味をもつかについて論じなさい。
2、市民社会論あるいは「市民社会と国家」の関連の把握を巡って、J.-J.ルソー、G.W.F.ヘーゲル、K.マルクスの三者の間にどのような思想史的関係があるか。次の二つの引用文の解釈を含む形で論じなさい。
(1) 「国家が市民社会と取り違えられ、国家の使命が所有と人格的自由との安全と保護にあると決められるならば、個々人としての個々人の利益が彼らの合一の究極目的であるとい
う事になり、このことからまた、国家の成員である事は何か随意の事であると言う結論が出てくる。…ルソーには、意思を、国家の原理として立てたと言う功績がある。だが彼は、意思
をただ個別的意思と言う特定の形式において捉えただけであり、そして普遍的意思を、……この個別的意思から出てくる共同的なものとして捉えたに過ぎない」(ヘーゲル「法の哲学」より)
(2) 「政治的解放は人間を、一方では市民社会の成員、利己的な独立した個人へ、他方では公民、精神的人格へと還元する事である。現実の個体的な人間が、抽象的な公民を自分の
中に取り戻し、個体的な人間でありながら、その経験的生活、その個人的労働、その個人的諸関係の中で、類的存在となったとき、つまり人間が彼の「固有の力」を社会的な力として認
識し組織し、したがって社会的な力をもはや政治的な力と言う形で自分から分離しないとき、そのとき初めて、人間的開放は完遂された事になるのである。」(マルクス「ユダヤ人問題に寄せて」1843年、より)
3、丸山真男の思想は、「国民主義のデモクラシー」論という性格を持つと同時に〈大衆社会〉状況への批判をも有しています。その内容について説明しなさい。ただし論述中には、次の引用文の解釈を必ず含む事。
(1) 「ヨーロッパ近代国家は、・・・・・・中性国家たる事にひとつの大きな特色がある。換言すれば、それは真理とか道徳とかの内容的に関して中立的立場となり、そうした価値
の選択と判断はもっぱら他の社会的集団(例えば教会)ないしは個人の良心に委ね、国家主権の基礎をば、かかる内容的価値から捨象された純粋に形式的な法機構の上においているので
ある。……ところが日本は明治以降の近代国家において買ってこのような国家主権の技術的、中立的性格を表明しようとしなかった。その結果、日本の国家主義は内容的価値の「実体」
(力点は丸山)たることにどこまでも事故の支配根拠を置こうとした。」(丸山真男「超国家主義の論理と心理」1946年、より)
(2) 「明六社のような「非」(丸山)政治的な目的を持った自発的結社が、まさにその立地から政治を含めた時代の重要な課題について、不断に批判していく伝統が根付くところに、
初めて文化主義か政治主義化といった二者択一の思考習慣が打破され、非政治的領域から発する政治的発言という近代市民の日常的なモラルが育っていく事が期待される。」(同「開国」1959年、より)
(3) 「現代日本の知的世界に切実に不足し、最も要求されるのは、ラディカル(根底的)な精神的帰属主義がラディカルな民主主義と内面的に結びつく事ではないか。」(同「『である』ことと『する』こと」1958年、より)
- 3 :agent◆bGmJzgr3/6 : 2008/04/15(火) 20:58:46 ID:9Um07ZBU
-
2006年度
野澤
4 KB
新着レスの表示
掲示板に戻る 全部
前100
次100 最新50
read.php ver2.4 2005/04/13